一般財団法人
兼高かおる基金
Kaoru Kanetaka Fund

KAORU KANETAKA
兼高かおる
1928年2月29日(閏年閏日)に兵庫県神戸市で生まれた兼高かおるは、戦争、敗戦と、世の中の価値観が180度変わる経験をしながらも、自由で好奇心旺盛な少女時代を東京で過ごしました。
1946年、香蘭女学校(東京都品川区)を卒業。ロサンゼルス市立大学に留学するため、1954年に渡米し、帰国後はジャーナリストとしてジャパンタイムズなどに寄稿を続けます。
1958年、スカンジナビア航空主催の「世界早回り(プロペラ機による世界一周)」に挑戦し、当時の新記録(73時間9分35秒)を樹立。これがきっかけで1959年、日本のテレビ放送の歴史において紀行番組の先駆けとなった『兼高かおる世界の旅』(TBS系列。番組開始時のタイトルは『兼高かおる世界飛び歩き』)が誕生します。まだ民間人の海外渡航が自由ではない時代にスタートした『世界の旅』は、日本人がそれまで見たことのない世界中の風景や土地の文化と歴史、そこに暮らす人々の営みを紹介。アカデミズムの考証を経た構成台本に基づく上品な語り口と、聞き手の芥川隆行氏との軽妙なやり取りでお茶の間の支持を得て、31年もの長きに渡り愛される番組となりました。番組の顔・レポーターである兼高かおるは、現地での取材やコーディネート、ナレーター、プロデューサー兼ディレクター、時にはカメラマンまで、一人で何役もこなしながら番組を製作。番組放映中の1971年には、一般人女性として初めて南極点に到達します。1990年の番組終了までに訪れた国は150カ国あまり。全行程721万キロメートルは、地球を実に180周した計算になります。時の国家元首から秘境の村人まで、あらゆる対象者に常に同じ目線で接し、勇敢に、おおらかに、エレガントに繰り広げられる冒険の旅は、視聴者にとって未知の世界への入り口でもあり、この番組に影響を受けたと公言する著名人も少なくありません。1年の半分は取材で海外を飛び歩き、生活の99パーセントの時間を費やしたと自認する『世界の旅』は、兼高かおる自身にとっても、生き方や仕事について学び、世界を視る目を養う、人生の学校でした。
かねてから「人生の最初の3分の1は、後で世の中の役に立つようなことを習う。次の3分の1は、それを土台として世のため、人のために尽くす。残りの3分の1は、自分で好きなように使う」と明言していた通り、『世界の旅』終了後の兼高かおるは、恩返しの意味を込めた各地での講演や執筆活動に力を注ぎます。
また、海外だけなく、日本国内の地方や離島を訪れて、その土地の豊かな自然や食、人々に触れる旅を精力的に続ける一方、悪化する地球環境汚染や、各国で頻発する武力紛争を憂い、地球を守るための活動を後年まで続けていました。
2014年、子供の頃からの夢であった医者になりたいという夢と、日本で活躍する優秀な医者を育てるために貢献したいとの思いから医学に関わる学生の支援を目的にした「一般財団法人 兼高かおる基金」を設立しました。
兼高かおるは、「横浜人形の家」館長、日本旅行作家協会名誉会長、淡路ワールドパークONOKORO内「兼高かおる旅の資料館」(2020年閉館)名誉館長、東京都港区国際交流協会会長などを務め、生涯現役を貫きました。著書に『世界とびある記』(1959年/新装版2019年)、『スーツケースのティー・タイム 旅ほど素敵な人生はない』(1985年)、『私の愛する憩いの地』(1992年/文庫版1995年)、『私の好きな世界の街』(1996年/文庫版2000年)、『わたくしが旅から学んだこと』(2013年)など。また、日本女性放送者懇談会賞、外務大臣表彰、菊池寛賞、文化庁芸術選奨、国土交通大臣特別表彰、紫綬褒章など栄誉ある表彰を多数受けました。日本国際ツーリズム殿堂へは、2004年の創設と同時に殿堂入りを果たします。年齢や職業を超えた多くの仲間と友人たちに囲まれて、旅に生きる人生を生き抜き、2019年1月5日、地球を飛び越え、天国へと旅立ちました。